昔、布施村の前田庄屋が、海士村の村上庄屋へ行こうと、馬で石仏道へ差しかかったところ、いきなり髪を振り乱した七尋女房が現れ、馬のくつわを取り襲いかからんばかりの形相で睨みつけました。これを見た庄屋は、腰に差した刀を抜く手も見せず斬りつけたところ、七尋女房の姿は消えてしまいました。辺りをよく見ると、近くにあった石仏の肩口が斬られ、首が無くなっていました。この石仏は流行り病の時に、とても霊験があるといわれ大変信仰されていました。昭和初期までは不便な山中にも関わらず、その御縁日には出店があるほどの賑わいだったそうです。今は道も荒れ、茂っていた松樹も枯れ、トタンの屋根はあるものの寂しくひっそりと立っています。
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